ユニティ(ひとつながり)の意識で生きるということは、「カルマ」や脅威、二元性にとらわれない世界を生きるということです。
例えばカルマをあるものとすると、「カルマ」に対して取り組む必要が出てきます。
これは分離の意識でいるうちは、必要なことになるかもしれません…
病気であると認定するなら、病気に対する一般的な対処が必要になります。
分離の意識からユニティの意識に移行する上で、根源的にそれが何であるかを知ると、それをどう観るかが変わり、反応も実践も違うものとなります。
分離の意識のまま分離の対象に取り組むということについて、これまでのようには進みません…
そして、一つ一つに別々な物理的対処が必要です。
それが、分離の意識では困難が多い、という理由です。
ユニティでは全ては一つなので、その在り方はとてもシンプルです。
そして、ユニティの意識でいることにより、簡単な発信や刺激が大きな影響をもたらします。
一つの言葉が複数のことに同時に影響し、完璧に事が運びます。
それは人間が創造主のうつしである、ということです。