いわゆる「修行」と言われる日常では、静寂や空白と繋がるために、他者と離れて一人の時間を中心にします。
自らの中に入るためです。
世間的な関わりや日常の雑事がない時、人はシンプルにありのままでいられ、そのような状態であれば真理は自然に中からやってきます。
内なる神が意識されるほどに、それはより確固たる基盤があるようなかたちになり、中に入るほどにそこは呼応し、無限の対話が始まります。
知識や情報で目覚めることは難しく、また特に内面が雑事に飲み込まれて、休憩やリラックスする時間を持とうとしないなら、目醒めは難しいと神は常々伝えてきています。
忙しく仕事をし続けたり、物質世界に意識が大きく向いている状態は、分離の意識を選択している状態です。
分離の世界で目立っていることが、混乱や批判、葛藤なのであれば、そちらに焦点が合えば、自らの内面にそれを持ち込むようなかたちになり、結果、心地好い現実化が難しくなります。
更に物質世界に起こっていることとは関係なく、内面を穏やかに保ったり悦びを感じて生きること状況が起こり得ます。
これは、次元を変えることと深く関連があり、物質世界的な結果にも心がとらわれない為、より「今にいる」ようになります。
この物質世界は二極と言われていますが、本当は一つのところから生まれています。
その源は中にあり、外ではありません…
一元的…ユニティに戻ることは「内面の宇宙に戻ること」です。
ここに戻れば既にバランスを兼ね備えているため、物質世界とのバランスも自ずと保たれます。