人間一人一人は「叡知」を 兼ね備えています。
これは知識を超えたところにあるもので、大いなるところからやってくるものです。
内なる神と深く繋がるようになれば、 それは色々なところから色々な形でやってきます。
「叡知」はスピリチュアルで言われるクレアボヤンス、クレアオーディエンス、クレアセンシェンス、またクレアコグニザンスなどを通じてやってきます。
「クレア」は個々にその突出した部分が違いますが、様々に見えない世界を知覚する能力は誰にでもあります。
優劣はありませんが、その中でも一瞬にしてまとまった情報を受け取ったり、または正確に受け取ることができるのはクレアコグニザンスかもしれません…
元々突出していた知覚があった場合にも、自らの意識を用いて他の知覚を開くことも出来ます。
これは使うか使わないか、 使いたいか否か…にも関わっています。
更に自らがいかなる存在であるのか…ということが意識されることによって、それに応じた内容がやってくるようになっています。
例えばクレアセンシェンスが非常に開いており、これに関わることは大抵感知出来ると思っているなら、意識せずともそこは応えてくれます。
例えば〇〇のツボはどこだろう…と思ったら、 意識していなくても感覚の方がツボの場所を教えてくれますし、痛みの箇所や解放具合もわかります。
そして、自らの本質が神なるものであるという認識が深いほど、そこへ質問をしたなら、必ず答えを手にします。
それは最初「答えは分からない」と思った時でも、本質を意識すれば必ず手にします。
一方で「叡知」と表現するものは、意識が拡大するほどに、その智恵の深さ、意味深さ、または広がりに触れることとなります。
単純に「物事がこうなる」という情報だけではなく、 どうしてそうなるのか、 またそれは 他のこととどう関係しているのか…なども一度に情報としてやってきます。
例えば セッションでも、最初は3つのテーマだったことが繋がりを持ち始め、最後には全てが一つにつながるということがよく起こります。
最初はバラバラに見えるのですが、やってくる「叡知」に従って紐解いていくと、 それは見事に繋がっていることがわかるのです。
更にそれに一層意識が拡大するような見識が追加されていることもあります。
「叡知」というのは、 結局全てはひとつながりであるとか、神は全てというところにつなげてくれますし、全く関係のないところにあったものが最終的にはつながりを見せてくる その流れは、最終的にはいつも同じ「オチ」を観るようで、大変興味深いところです。