既に25年以上前の話で時期を正確には覚えていませんが、人生が苦しすぎて何かを探し求めていた時に、ウエイン・W. ダイアー氏の本に出会いました。
それは「自らの意識を変化させたら、人生が変化する」という内容であり、自分が人生を変化させられる方法があると知った時のその歓喜といったら、それはどんな言葉でも言い表すことができないくらいの喜びでした。
その内容に出会えたことは本当に衝撃的であり、私の人生の変化が始まった瞬間でした…
今回の人生の転換の原点はそこにあったと言えるぐらいですが、これは自分の人生が苦しいと感じていなかったら出会えておらず、更にそのような衝撃もなかったと言えます。
人生を転換する方法を喉から手が出るほどに欲しいと思ったら、それと出会い、それがまやかしではないと信じた(信じられた)からこそ、今があると言えます。
スピリチュアルな道では誰もが「それは本当なのか?」という疑いと出会います。
その疑いを晴らすのは正に実体験を通してということにはなるのですが、人生での回り道や苦しさを回避したいと思ったら、他者の言っていることを信じて飛び込む勇気も必要です。
他者のことが信じられなくて、自分自身で全てを体験し、確認してからやっと信じる…というのはものすごく時間とエネルギーが必要です。
私の場合は苦しすぎて信じるも何も、他者の言うことにやっと光を見出せたために、その光を辿っていくしかなかったという部分もありますが、信じるということは本当に自分自身を助けることにつながると実感してきました…
世の中には他者を信じて騙される、という経験をする場合もありますが、その場合には結局他者に騙されたというよりも、自分自身を信じていなかったがためにそのような出来事を創造したと言えます。
疑いが内面を占領していれば、そのような出来事がやってきます。
よって、疑いと共にあれば前述した通り一つ一つ確認するのにも時間とエネルギーが必要ですし、何よりその意識によって「疑うことを誘発するような出来事」も起こり、他者・自己不信、落胆、喪失感、人間関係への怖れなどが増幅していきますので、波乱万丈の人生となります。
「信じる」ということ一つとっても、人生が一変するくらい救われることもあれば、その逆もありですが、信じた結果がどう出るのかはその物事や他者ではなく、自分の意識にかかっているということです。
「信じるに足るか?」ではなく信じられる人物と出会う状況を創り出せるか、信じられる流れを創り出せるか…です。
これを理解するまでは、人生は疑いの連続です。