リーディングによって今後のことを発信した場合、それが認知されることによって、リーディング内容の現実化に変化が加わる可能性があります。
そのままではなくなる…可能性があるということです。
あくまでも中庸な視点による正確なリーディングをもとに…ということです。
「世の中でこれから起こるかもしれないこと」に関するリーディングなどは正にそうです。
多くの方々に認知されることで、認知した方々の意識がリーディング結果に変化を加える可能性が出てきます。
人々にとって最も望ましくないと感じられるリーディング結果を見聞きした場合でも、多くの方々の意識がその流れを変化させる可能性がある…ということでもあります。
世の中には拡大した意識のもと、それを意図してリーディング結果をアナウンスしている方もおられます。
このような場合には正にアナウンスしている人が、その拡大した意識からある働きかけをしている、とも言えます。
このような場合、自ら行ったリーディングが当たるか当たらないかが重要ではなく、人類が最も避けたい結果を回避できるように、ということの方に意識が向いており、その観点からアプローチしていることがあるはずです。
今ある情報の中にはただただ怖れの中に巻き込むような予言めいたものも少なくありません。
その内容に一旦脅威を感じたとしても、それを受けて個々がどのような意識を持つか…ということが一層問われています。
多くの方々はただただ怖れに苛まれて、どう防御するかにばかり意識が向いていますが、回避するためにもっとパワフルにできることがあります。
個々のレベルでも同様のことが言えます。
起こるかもしれないことを認知した場合には、それを変化させることができる可能性は存在しているわけですので、リーディングがどんな望まぬ内容であっても「それは必ず起こるんだ…」と信じ込む必要はありません…
ただ今の意識のままではそれが起こる可能性が高いので、意識の方の見直しをしっかりと行うことは必要です。
そのような個人の意識の見直しが、結局は世の中に起こることさえも変化させていくのです。