日本人は特に共感力が高く、エンパスと言われる方が特に女性に多く観られます。
このような方々は気持ちが落ち込んでいる人がいると、自分も気持ちが落ち込むとか、他者の思っていることや身体症状が伝わってくるとか、または人込みに行くと疲れ切ってしまう、大人数が苦手、場のエネルギーを感じすぎてしまう、五感が鋭敏、自分が後回しになる…などといった特徴があります。
エンパスによって日々の生活に生きづらさを感じ、これだけで外に出ることを控えてしまう方もおられます。
この傾向は意識の持ち方と自らの資質を知ることで、変化させることが可能となります。
以前はテレビを観ていてダイバーが水に潜る場面を見た途端、意識せずとっぷりと水につかったような聴覚に変化したり、首を締められるような体験をした、と聞けばその感覚が即刻自らの身体に訪れるというような経験がよく起こっていました。
それでも、その感覚を継続させるか断ち切るかは自分自身の意思で自在に選択することは可能です。
普段は例えば電気製品から出ている電磁波を感じようとすると、途端にそれは伝わってきますが、やめようとすればニュートラルに戻ります。
AさんからBさんの話を聞いている時、Bさんの身体症状を感じる時があっても、それを断ち切れば元に戻ります。
つまり元々エンパスの傾向があっても、それにバランスをもたらしたり、適切な場面で発動したり、普段はカバーをかけておくことも出来ます。
全ては「意識」が先にあるという認識から始まります。
更に私たちの神なる本質はこのように創造的で自由な現実創造の資質を持ち合わせているということです。
このことが深く意識に入れば霊媒体質であることや、それこそ見たくない世界のものを観ることについても、自ら選択が出来ます。
意識が物理世界に合っているのか、物理次元より上の部分に焦点を合わせようとしているのか、神とつながる生活なのか、目覚めた意識なのか…で意識が見せる(創る)世界は全く変わります。
真実はどこにあるのか…という疑問が本当にわいてきたら、その先には自らが創るという世界が広がっています。