理由をつけて先延ばしにすることで、もはやそれに取り組まないとどうにもならない、というほど困難が訪れることがあります。
もしそれを今世でやろうと思っているのなら、それは必ずどこかで手を付けますが、それに手をつけるのに困難さを伴うのか、または楽にスタートするのかは、いかに自らの直感や気持ちに従っているかで変わります。
いつもそれをやらないために付けている理由は実は思考からやってきていることが多く、もちろんその理由は真実ではなく、起こってもいないことを心配したり、自らがマイストーリーを創ってそこに入り込み、「無理だ」としているに過ぎません…
本当の望みなら自らの本質としっかりつながれば、それは叶うようになっています。
ピュア・ジョイで言う「内なる神」とは人間の本質であり、全てをうまく運ぶ創造主のうつしだからです。
一方で思考の方が本当はやりたくないことを「やりたいことだ」と言ってきて、それをやりたいことだと思い込む場合もあります。
「やりたいこと」というのは知らず知らずのうちにやっていますし、休日や食事を横に置いてもやっていたり、またやりたくなったりするものです。
本当に自らが欲していることを見極めるのは大切なことで、これをはき違えるといつもでも自らの本当に望むことは実現しません…