この物理現実で楽しいと思うこと、やりたいと思うことというのがそれぞれにあったりしますが、中には特に「これをやりたい」というのがない、という場合もあります。
その場合は、やりたいのは大抵「内面への取り組み」です。
このような方は案外おられるのですが、やりたいことがみつからないこと自体に引け目を感じて自信を失くしていたり、自己を卑下している場合もよくあります。
一方で自分自身を満たしていく過程では、やる気や活力も出てきてある期間は「やりたい感じ」も出てくるのですが、結局はそれは期間限定であり更に本当の悦びに向かいます。
旅行へ行くとか娯楽に出かけるよりも、「真に自己を満たすことがある」ことに気付き始めると、もはやその味わいの方がよほど魅力的です。
観察者として在りつつ、他者に自分を差出すときやまた祈りそのものが悦びです。
何かをして何かを「得る」というより、その時の意図に沿っての自分の在り方(行動、言動、その他)そのものが悦びとなります。