内なる神という言葉を意図的に使うのは、それはお一人お一人の内なる神が呼びかけているのだとわかるように、です。
内なる神とという言葉を見聞きして何か呼ばれる感じがしたならば、そこへ進もうとしますし、「神」という言葉に触れただけで宗教なのか…という観念が入ったならば内なる神と意識的につながることも、またセッションが選択されることもありません…
興味深いことに人生で一番楽な道を多くの方々は選択しようとしません…
これは人生の青写真のためとも言えますし、まだそこに行かなくてもいいと思っているからだと内なる神は言います。
ただ時代は移り変わります。
最近、よく「強制的に丸腰になるより、自ら手放した方が楽」であると皆様にお伝えすることが多くあります。
丸腰になった時にこそ自らの本質に気付く機会を得られるのですが、「丸腰は無力」だと思い込んでいるからこそ、今まで努力のもとに得た(と思っている)ものを手放そうとはしない傾向があります。