内なる「神」という言葉をなぜ用いるのか、というと、それは紛れもなく私の中から「私は神だ」という声が聞こえてきたからです。
それまで、「神」のことについてなど考えたこともなく、最初は精神がおかしくなってしまったかと思いましたが、あれから18年あまり…今や人間存在というものが「神」という言葉でしか言い表せないほどに深遠で広大で無限、完全性があり神聖な存在…言葉を言い尽くせないほどの存在であると感じています。
殆どの方が自分が何であるか、ということに意識を向けずに生活しています。
それは「ただの人間」という認識に近いものです。
そして内面への取り組みによって、私たちがどのような存在であるのか、ということに気付き思い出すにつれ、成せることもそれに比例して変化してきます。
一般的に「人間が成すことができる」というふうに認識にしているのは、氷山の一角にすぎません…
これはよく潜在意識に例えられる通りです。
自身がどのような存在なのかを思い出していくにつれて、自分自身で解決しなければならないことはない、ということにも徐々に気付いていきます。
例え自分自身に苦難がやってこようと、大きなストレスがやってこようと、それを易々と乗り越えて行けるのです。
全員がポテンシャルはあるのに、まだ気付いていない、思い出していないだけです。
ただ…前述したことを知識として知ったとしても、そうなろうと努力したり、コントロールしようとしても、あまりうまくは行きません…
それこそ表面の意識で動かすものではないからです。
自らの中に自らを導く「師」を見出すことができれば、この混沌とした時代、先行きが不透明な時代であっても、私たちは揺るぎなく生きていくことができます。