人は必ず自身の意識を通して人物や状況をとらえています。
従って観る人の意識が中庸でない限りはその人がどんな人であるかはわかりません…
意識が現実を創るということは知っていても、これを日常の生活に100%当てはめるのに最も困難に感じる部分かもしれません…
始終サングラスをかけて物事を観ているという感覚がぴったりです。
ですので、「あの人はこういう人である」という決めつけは自分のために手放し中庸に向かうようにします。
中庸に向かう理由は、中庸に向かうことで全てがうまく運ぶからです。
意識が中庸な状態というのは、見方によってはその状態が「冷たい」と感じられたり、また自然体と映る時もあろうかと思いますが、それも手放します。
中庸な状態というのは制限や判断を手放した状態であり、心配事がなく色々な意味で満たされた状態と言えます。
正に自身を満たすことにおいて、自給自足です。
そこには純粋な悦びがあります。