私自身が子供の死という体験を経てこの時点で得ているものは、その表現し尽くせない体験と、結果的につり合いの取れたものだと言えます。
またそう言えるようにしたかったのだと思います。
子供は私にとっては「先生」でした。
様々なことを教えてくれ、体験させてくれ、それは魂に刻まれた思いです。(本当は魂ではありませんが…)
最終的には外側のどんなことも飾りに過ぎず、「命があれば十分」ということを教えてくれました。
今、このように純粋に生きる悦びがあるのも、あの経験があってこそと認めざるを得ません…
子供を亡くした心の穴を埋めてくれたもの…それは空であり、大いなる光であり、「全て」とも言えるものだと感じます。
それは私が望んでいた通りに授かったものだと思っています。
今まで何度も夢を見ました。
夢の中ではいつも子供は生きており、「なんだ生きてた」という夢です。
歳月が流れるにつれ、外側にはいないけれど、内面ではその明らかな存在が私の心の穴を埋めていくのがわかりました。
この世の最高の苦難と言われることを体験してしまうと、あとはその上の体験しかありません…
日々、今、この今が感謝です。
これは自分の基準をどこにするかで、物事に相対した時に思いが変わるということを表していると思います。
今、どのような苦境にある方にとっても、その心の向け方次第で目の前の状況に縛られない、満ち足りた心境を生み出すことが出来ると私は信じています。
そういう道を全ての人が歩むわけではありませんが、少なくともその体験を逆のベクトルへのエネルギーに転換することを心から望めば、今の体験は全く違うかたちで人生をバックアップしてくれると思うのです。