科学で解明されていないことは真実ではない、という主張があります。
実際にこの宇宙を構成する物質の約95%は解明されていません…
いわゆる「ダークマター」と呼ばれるものです。
地球の科学は進歩したと言っても、まだ宇宙についてわかっていることは数パーセントです。
人は神社仏閣に行くと、殆どの人は手を合わせます。
または人が亡くなり葬儀に行くと、自然と見えない存在に向けて弔いの気持ちや感謝の気持ちを向け、ご冥福を祈るのです。
人はそもそも見えないこと、科学で解明されていないことであっても、その存在の有無を深い部分では理解していたり、また様々な可能性を受け容れることができる存在です。
それをかたくなに認めない理由の一つとして、自身の中にあるアイデンティティーに対してそれが脅威となったり、自身の核が揺らぐ感じがする、ということが挙げられると思います。
それは「怖れ」そのものともいえるかと思います。
ですが、実際にそれらは脅威ではなく、また自身の存在を危うくするものでもなく、むしろ自分の意識を拡大して、よりよく生きるきっかけを与えてくれるものです。