外側の何かを「失った」と感じる時でも、それは実際には失ってはいません。
それは「失った」という認識が実際には失ったような現実を創り出しているにすぎません…
病気で息子がこの世を旅立った後、そのことを知る過程へ内なる神が導いてくれました。
崩れたバランスを通常のセラピーで調整しようとしたり、また外側の存在でその穴を埋めようとしなかったことは、逆にベストな選択でした。
内なる神に問いかけと対話を求める日々をただ続ける中、その空いた空間に入って来たものは、正に「全て」という感覚でした。
それは息子という存在を含んだ正に光でした。
そして、外側の息子の存在のように、その穴を埋めるものが内側でまかなわれたのでした。
寂しさや悲しみは完全に影をひそめ、ただ充足感と平安と感謝がそこにあります。
人生というのは、苦難に相当する「恩恵」というものも受け取れると思います。
ただ、それはそれを内側に求めた時であり、苦難以上の素晴らしい恩恵のように感じます。