三次元の思考にとらわれていると、実際にその中でしか生きることができません…
例えば、育っていく過程で坂道を上れば疲れる、熱いものにさわればやけどするという肉体の経験を通して人はこれはこういうものだ、という枠をつくっていきます。そういった素地があって、社会に出ると社会の様々なしがらみの中で更なる制限の中に自分を閉じ込めていきます。
ですが、この次元の出来事はこの次元だけでなく同時にほかの次元ともつながりがあることを理解すると、その制限さえ取り除けば、その制限の外にある世界を見ることが可能であることもわかってきます。
ここでむしろ、大きな壁になり得るのは、制限を制限だと認識できない点です。
例えば人が自由だと感じる時というのは実際に時間の制約がなかったり、課される仕事や義務がないというような状況下です。これは三次元での体験の上に作り上げられた制限の一つです。つまり、一般的には前述のような状況下でなければ、自由だと感じることはありませんが、本当はたとえ時間の制約があってもまたは仕事があっても「自由」は存在するということなのです。
これが認識できない制限の具体例です。
次元上昇とは正にこの次元でない意識で目の前のことをとらえていくことです。
小さい制限からこういった概念的なものまで、様々な思い込みをはずしていくことで、新たな次元で自分の思いに沿った創造的な現実を生きることです。